8月 04

私達は現実世界において「原因と結果」という事柄を「時間」という直線的な軸にしたがって経験しています。

…そう信じています。

ですが、夢の中でのあれほど一貫性のないバラバラな経験が、目覚めの一瞬で即座に時間線に沿った物語として精妙に組み立てられているのなら、「現実世界は違うよ」とは言い切れないのではないでしょうか。

たとえば、あなたが台所に行って水を一杯飲んだとする。

あなたは時間の流れに沿って台所まで歩いていき、食器棚からコップを取り出し、水道の蛇口をひねって水をコップに汲み、それを喉に流し込んで水を飲んだ。

そう考えています。

でも、本当にそうでしょうか?

本当は「水を飲もう」というアイデアを思いついた瞬間、既に水を飲んでいたのではないのですか?

あなたが台所まで歩いていったり、コップを取り出したり、蛇口をひねったり、コップに水を注いだりしたというのは…

あなたが「水を飲んだ」という事実をもっともらしく裏付けるために、後からつけ加えたものなのではないですか?

それを仮想の時間線に沿ってつなぎ合わせ、さも納得がいくようにつじつまを合わせ、瞬時に組み立て直して解釈しているだけなのではないですか?

つまり実際には時間は存在せず「結果」しかなく、原因やプロセスについては、つじつまを合わせるために「後付け」しているだけなのではないですか?

それを認識上で時間線に沿って並べ替え、時間の信念どおりに解釈し直しているだけなのでは?

つまり実際には、

「原因」→「プロセス」→「結果」

ではなく、

「結果」→「プロセス(錯覚)・原因(錯覚)」

ではないのか、ということです。

もしこのアイデアが本当だとしたら、ACIMやホ・オポノポノの「全ては既に終了(完了)している」という主張にも合点がいきます。
我々は既に終了していることを仮想の時間線に沿って、一定の速度で(錯覚を交えながら)再生しているだけということになります。

もしこのアイデアが本当だとしたら、予知や第六感による直観も何ら不思議ではなくなります。
それらは既に終了しているのであって、それを時間線に沿って逆転再生しているとしても…そして未だそれを経験していないという「フリ」をしていたとしても、「それは既に終わっていて結末を知っている」という事実は覆らないからです。

もしこのアイデアが本当だとしたら、アカシックレコードが存在しているとしてもおかしくありません。
むしろ存在していないとおかしい。
ただしそのアカシックレコードは、無限のバージョンをすべて網羅する形で記述されていることになる。

もしこのアイデアが本当だとしたら、「現実は幻想である」という主張も説得力を持ってきます。
実際には結果しかなく、原因やプロセスは単に「つじつまが合うように」我々自身が捏造しているだけということになるからです。

そして、もしこのアイデアが本当だとしたら…

あなたは願望を実現するために、何もする必要はないということになる。
結果しかないのだから、あなたは単にその結果を選択するだけです。

それで完了です。

そのために必要と思われる、どんな物理的変化も時間経過も、信念の変更もクレンジングも現実的努力も、一切不要ということになります。

それらはつじつま合わせの単なる「後付け」に過ぎないのです。
あなたが結果を選択しさえすれば、それらのプロセスは(あなたにとって必要なら)あなたが納得する形で後から生成されるでしょう。
そして、それらをちゃんと時間という信念に合致する形で経験する(と錯覚する)ことになる。

わかりますか。

もしこれが本当かと思えば、あなたにとって制限はなくなる。

実現を妨げるどんな要因も消え失せる。

結果しかないのだから、あなたはそれを選ぶだけで良くなる。

文字通り自由自在です。

そうしたら、この世界には充足しかないということが分かる。

そして、あなたを苦しめてきた「不足」という仮想概念は消滅するのです。

これが直結です。

直結とは「あいだを隔てないで直接に結びつくこと(広辞苑)」です。
つまり「直に」「結果である」ということです。

直結メソッドとは、

「直に結果であれ」

という実現状態そのものなのです。

これまでは様々な仮想概念や信念を用いて、あなたの意識は結果から分け隔てられていました。
時間、因果、物理的変化、距離、誰かの意向、過去の記憶、自らが自分に課してきた属性…

どれもこれも、あなたが今すぐに望むあなたで「在る」ことを、妨害してきたまやかしに過ぎなかったということです。
あなたはそれらのアイデアを利用して、直結することに抵抗してきた。
そんな必要は何ひとつなかったわけです。

だから、

「今すぐに叶えてください」

「たった今、そうなってください」

「そのあなたは、問題について心配したりしていないでしょ?」

「その過去は、あなたが今、創り出しているんです」

「潔く無視しちゃってください」

「知覚障害を起こしているんです」

「充足を見てください」

「既にそれはあります」

「実際の物理現象としてあるのです」

…というわけです。

(つづく)

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written by 108

7月 21

あなたは夢をご覧になりますか?
睡眠中に見る、あの「夢」のことです。
きっと見ますよね。私もよく見ます。

夢というのは不思議なもので、突然脈絡のないシーンにいきなり飛んだり、自分の役割やキャラクター、舞台設定まで突然変わったりして、なんとも不条理なものです。

ストーリーもあってないようなものですが、そういった面を除けば、起きているときの現実体験と遜色ないリアルさがあります。夢から覚めるまで、それが夢であるとは気付かないほどの…。

実は私、かつて夢に関連して驚くようなことを経験しました。

それまでの常識が音を立て崩れる…というより、木っ端微塵に吹っ飛ぶような衝撃的な経験でした。

それをこれからお話しします。

私はいつものように夢を見ていました。
(夢の内容についてはこの際どうでもいことですが、セクシーな夢でなかったことは確かです(笑))

いつもの夢と同じように、まるで現実の体験であるかのようにそれを経験していました。
つまり、そこで起こる出来事や場面同士のつながりが「現実ではあり得ない形」であるにせよ、現実と同じようにその夢の世界を体験していたということです。

ここまでは普通でした。
問題はこの後です。

夢を見ていた私は、いつものように目を覚ましたんですが、この時、思いもよらないことに気付きました。

なんと目が覚める寸前に見ていた夢のシーンは、夢のストーリーにおける「ラストシーン」ではなく、なんと「オープニングシーン」だったのです。

これだけでも意味不明なのですが、本当に驚いたのはこの後です。

それに気付いてから目が覚めるまでのほんのわずかな刹那、見ていた夢のそれぞれのシーンを、通常の時系列に沿って瞬時につなぎ合わせている自分を初めて観察したのです。

夢における時系列、つまりストーリーを作っていたのは、目覚める刹那の自分自身でした。

夢の中に時間はなかった。
それを目覚めた後でも時系列に沿ったストーリーとして解釈できるようにしていたのは、目覚める瞬間の自分による「瞬時の並べ替え作業」だったのです。

これによって、夢が何故あれほど不条理なのか理解できました。

本来、夢の中に時間はないのです。だからなんの制限もなく自由自在な経験ができる。
突然別の人物になったり、突然まったく違う場面の経験に移ったり。

ある意味直結です。

この経験を「起きている意識」によって解釈して認識するためには、その形に変換する必要があります。
それが目覚め直前の瞬間的な「時系列に整列」作業なわけです。

これによって夢は見かけ上、時系列に沿ったストーリーを持つことができ、場面のつながり等が(現実視点では)不条理であったとしても、後で反芻したり、人に話して聞かせることの出来る物語として、かろうじて形をなすわけです。

ところが実際の夢にはストーリーなんてない。

そこには直線上に一方向に進む「時間線」なんてものは存在していないのです。

だからこそ、通常の時間認識上では「一番最後」に「一番最初のシーン」を見ていたりする。

私はこのとき、ハタと気付きました。

「…ひょっとしたら、現実世界も同様じゃないのか?」

と。

(つづく)

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7月 13

昔、知り合いの人にこんなことがありました。

その人は高速道路を車で走っていたのですが、なんと走っている最中に、いつの間にかタイヤが一本外れてしまっていたそうです。

でもそのことに気付かなかったため、その人はずっとタイヤ三本で走り続けていた。
外れていたことを知ったのはずっと後のことです。

そんな不安定で危険な状態で、どうしてなんの不都合もなく車を走らせ続けることが出来たのでしょう?

「そりゃ、偶然にもカーブのない長い直線道路で、ハンドルを大きく切る必要がなかったからだよ。高速で走っていたので慣性の法則が働いて、車はバランスを崩すことなく走り続けることが出来たのだ。そういうことって、たまにあるらしいよ」

そうかもしれませんね。
物理的な説明を求めるとそういう結論になるでしょう。
でも私が言っているのはそういうことじゃありません。

「本当にずっと前からタイヤは外れていたの?」

ということです。

彼は運転中「タイヤが三本しかない」ということを事実として認識していなかった。
つまりそのとき、彼の意識には「タイヤが三本しかない」という事実はなかった。

じゃあ、そんな事実は存在していなかったんじゃないの?

少なくとも彼が「タイヤが一本外れている!」ということを事実として認識するまでは。

このことを彼の側からだけ捉えると、別にそれでも問題ないことが分かります。
だって事実しばらくの間は、タイヤが万全な時と同じ状態で走行を続けていたわけだから。

「でも、彼がそれを事実として認識するまでに、既に別の人がそれに気付いていたかもしれないじゃないか。対向車がパッシングをしたり、クラクションを鳴らして知らせようとしたり…。タイヤが外れていると気付くまでの間、『そういや、確かにそういうことがあったな』と彼に思い当たる節があるなら、やっぱり彼が気付いていないだけで、それは現象として起きていたんだよ」

分かります分かります。
ですが、ちょっと待ってください。
その「対向車がパッシングした」「クラクションを鳴らされた」というのは、本当にタイヤが外れていることを知らせようとしてのことですか?
そんなこと、タイヤが外れたことがない私にだって、幾らでも経験がありますよ。
パッシングやクラクションが「その時点で既にタイヤが外れていた」ということの証明にはなりません。

「だから!その車は結果的にタイヤが外れていたんでしょ!それならパッシングやクラクションは『それを知らせようとしていた』ということになるじゃない!!」

…ハイ、引っかかりましたね。

「…君、今の聞いたね?」
「はい、聞きました」
「…君も聞いたね?」
「はい、聞きました」

「…オイオイ、なんのマネだ!一体こりゃどういうことだ!」

(by 刑事コロンボ)

あなたは自分自身で認めてしまったんですよ。

「『結果的に』タイヤが外れていたから、パッシングやクラクションは『それを知らせようとしたことになる』」

あなたはこう言いましたね。
これは、

「彼がタイヤが外れていると認識した」

つまり、

「彼の意識体験に『タイヤが外れている』ということが入ってきてから初めて、『パッシングやクラクションはそれを示唆する事実として存在』したことになる」

と認めているということです。

彼が脱輪を認識した時点で、対向車のパッシング等はそれを支える事実となった。
これは確かに真実です。

この二つの事象間においては、敢えて時系列的な観点から見ても「脱輪したことに気付いた」方が後です。それ以前の時点では、彼の意識体験に「脱輪」という事実は存在していない。確かに対向車にパッシングされたかもしれませんが、パッシングという事象単体のどこを探しても「脱輪」という要素は見あたらないのです。

彼が脱輪に気付いてから、

「あっ、さっきのパッシングはつまり…」

こう認識した時点で初めて、彼の中で脱輪とパッシングとが結びついたわけです。

「あなたが属性を認定するまで、全ての事象はニュートラルである」

これまでに何度も言ってきたことです。

では分かりやすくするために、映画のフィルムに置き換えて考えてみてください。
主人公が高速道路で車を走らせていると、対向車がやたらクラクションを鳴らしたりパッシングをしてきたりする。
おかしいなと思って車をパーキングに止めようとしたところ、急に車の挙動がおかしくなる。車は傾きながらなんとか停車し、車を降りた主人公はタイヤが一本外れていたことに気付く。

この映画をそれぞれのシーンごとに抜き出して単体で観察してみても、それぞれは何の因果関係も示していません。
それを時間軸に沿って、

1.クラクション
2.パッシング
3.不審に思う
4.速度を緩める
5.車の挙動がおかしくなる
6.停車して脱輪を確認する

このように順番に連続性をもって見ていったとき、初めて、

「ああそうか。対向車は主人公に脱輪を知らせようとしていたのだ」

という解釈が成り立つわけです。

1や2の時点ではクラクションもパッシングも「脱輪を示唆している」という属性は持っていません。その属性が与えられるのは6の時点です。その時点までは、別の言い方をすると「属性は確定していない」

このように彼の意識体験においては、どう頑張ってみたところで「パッシングやクラクション」が「彼が気付く以前に脱輪が発生していた」ことを証明する根拠にはなり得ません。

…まだ納得できませんか?
よろしい。往生際の悪いあなたのために、もっと分かりやすく徹底的な説明を試みましょう(笑)。

(つづく)

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7月 12

前回のコラムでご紹介した「直結メソッド」はお試しいただけたでしょうか?

「正直『先取りメソッド』との違いが分からないよ!」

こんな風に、いまいちピンと来ていない方もいらっしゃると思います。
というわけで、今回は解決編です。

「先取り」という概念には「時間」の感覚がつきものです。
これによってどうしても「今現在、実際には望む状態ではない(実現していない)」という信念を支えてしまいがち。
だから、この「時間」という概念そのものを無視してしまおう、というのが前回記事の要旨でした。

あなたにとって何か望む状態があるのなら、そのあなたに「今」なってしまう。

これが直結です。

なった「フリ」じゃありませんよ。本当になってしまってください。

※このニュアンスはとても微妙なものなので、今回は念入りに説明したいと思います。

****************************

「たった今、望む自分になった」

こう選択したとき、即座に思考が働き出します。

「オイオイ、そんなわけないだろ。周りを見てみろ。何も変わっちゃいないじゃないかよ」

あなたは本当に望む自分になったかどうか、目の前の状況と照らし合わせて確認しようとします。現象化によって自分の選択に確証を持ちたいためにです。

ところが、どうやらそれを後押ししてくれる現象化はなさそう。
あなたはこれで意気消沈し、直結は一瞬で解除されます。

…でも、これっておかしくないですか?
本当に望む自分になっているなら、何故現象化という確証によってそれを証拠立てる必要があるのでしょう。

願望を既に実現している「あなた」なら、目に見える現実の中からその証拠を血眼になって探し回ったりはしない。

こんな時、直結はできていません。
これでは単なる、

「直結したフリをして、恐る恐る様子を伺っている状態」

に過ぎません。

どうしてそうなってしまうのか。
直結を意識的に一瞬で解除してしまっているからです。

あなたは確かにほんの一瞬、実現した自分と直結できていたのかもしれません。
しかし証拠を探し始めた時点で、もう直結以前の自分に戻ってしまっているのです。

たとえば、あなたの金庫に現金十億円が置いてあるとします。
実際に現金十億円をずっと持っている人が、

「私は本当に十億円持っているのかしら」

と、何度も何度もわざわざ金庫を開けて確認しに行くでしょうか?
お金が大好きな人なら、毎日でも金庫を開け、現金を目の前に悦に入るかもしれませんが(笑)、別に十億円の存在を疑ってそうしているわけではありませんよね。

あなたは車を持っていますか?
もし持っているとして、

「私は本当に車を持っているんだろうか。車が突然消え去って、本当は持っていなかったということになってないだろうか」

と心配して、何度も何度もガレージに車を確認しに行くでしょうか?
初めて車を買ったばかりの頃なら、嬉しさのあまりそうするかもしれませんけど(笑)、これも車の存在に疑問を持ってそうしているわけではありません。

では、あなたは呼吸が出来ますか?

「当たり前だよ!」

そうでしょうね。
そうでないとしたら、こんなブログを余裕こいてのんびりと読んでいる場合ではありません(笑)。
じゃあ当然、

「私はひょっとして呼吸が出来ないんじゃないだろうか?」
「私が息を吸うことで本当に空気が入ってくるのだろうか?」

なんてことは思いもしませんよね?
貴方が呼吸できることはれっきとした事実であって、一々現象に目を向けて確認する必要なんてないからです。

では、あなたの身体には頭がついていますか?

「…待てよ、そんなこと考えもしなかったな。本当にそんなものがくっついているのか甚だ疑問だ。ここはひとつ鏡の前に行って、本当に頭がくっついているか確認してこよう」

…とはならない。ならないの巻(by パンクブーブー)

何故って、確認するまでもなく、それは疑いようのない事実だからです。
言い換えれば、あなたはそれを100%確信している。
疑念の入り込む余地はない。だって事実なんだから。

あなたが既に持っているもの、あるいはあなたが「今の自分はこれこれこういった属性である(こういった状況を抱えている)」ということに関して、あなたはそれを現象面で一々再確認するようなことはない。

だって事実だから。
事実だと「知って」いるから。

…でも、本当に事実ですか?

(つづく)

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7月 12

皆さんお久しぶりです!

前回のコラム「直結メソッド」から、はや半年が経過しました。

実はこの「直結メソッド」という記事には「解決編」とでも言うべき続編の記事を用意していたのですが、板チケでの皆さんのリアクションなどを参考に、掲載を見合わせていました。

今、ベストなタイミングな気がするので、いよいよ掲載します。

今回掲載する記事は、最初に用意していたものから大幅に加筆・修正してあります。
分量も相当増えました。
そのためコラム内に独立したカテゴリーを設け、そこでの連載という形をとらせていただきます。
受験生の夏季集中講座みたいな趣です(笑)。

今回の記事には「ザ・チケット続編」の内容も一部含まれます。
ある意味「ザ・チケット続編」の予告編的な内容です。
どうぞお楽しみに。

それでは皆さん、認識を変更する準備はよろしいでしょうか?

ジャ、ハジメヨウ!

(by フィリップ・トルシエ)

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1月 27

ヒジョ〜に遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もこんな調子ですが(笑)どうぞよろしくお願いします。

ところで、年始って何ですかね?
年の始め、年頭のことですよね。

昨年の年頭ブログに「今年一年を振り返る」という記事を書きました。
面白い結果が出た方もいるでしょうし、そうでない方もいるでしょう。

良い結果が出た方は、おめでとうございます。
そうでなかった方は、ごめんなさい。

ところで、今回はある提案があります。
「年始に一年を振り返る」もそうですが、願望実現のための方法論として、こういった時間を逆利用したメソッドというのはよくあります。

チケットでご紹介した中にもありますし、探せば他にもいろいろ出てきます。
もちろんこれで効果が出ている人は結構ですし、そのまま続けていただいて構わないのですが…。

そうではないという方。

こういった「時間を逆利用するやり方」を止めてみませんか、という提案です。
止めて、じゃあどうするのか。

たとえば、あなたが大金を得たいとする。

通常なら、大金を得たイメージを想像したりして、思考を働かせます。
あなたはウフフと喜びます。
それで、いつ現実に大金が現れてくるかと楽しみにして待つことになります。

「実際に大金を得ることができたら、そのときこそは本当に喜ぶぞ」

というわけです。

このやり方では時間を逆ではなく「順」利用しているわけですが、逆利用したとしても、実際の実現の瞬間まで待つことになるのなら、結局同じことです。

「やっぱり待っちゃってるじゃん」ということです。

この「待つ」というのが曲者です。

「どうせ実現するまでには、ある程度の時間的経過が必要なんだろう」

というわけです。刷り込まれちゃってます。観念であり信念なわけです。

この常識的判断に基づく信念というものが、願望実現のためには非常に厄介な邪魔者であることは、チケット読者や板チケ住人の方、このブログの読者の方ならとっくにご存じだろうと思います。

じゃあ、なぜその信念をわざわざ活性化しちゃってるんですか、ということです。

今回ご紹介するのは、この信念を無視して時間をまったく利用しないやり方、題して「直結メソッド」です。

あなたが大金を得たいとする。
そしたら、いつか実際に実現した時まで喜びを延期するのではなく、今実際に喜びましょう。

「やった!大金が手に入った!バンザイ!!」

ということです。

あなたがモデルなみの美人になって、イケメンからモテモテになりたいとする。

「やった!モデルのような美人になって、イケメンゲットした!ヤッター!!」

あなたが慢性的な持病を抱えているとする。

「やった!完全に健康な身体になったぞ!ヤッホー!!」

あなたが…(以下、あなたの願望に当てはめてみてください)

…あれ、この「直結メソッド」って、これまでにあらゆる書籍で伝えられてきた「先取りメソッド」と同じじゃん。どこが違うの?と思ったあなた。

これは「先取り」とは違います。
「先取り」とは「ある事態より先にことを行う、または自分のものとする」ことです。
「ある事態より先に」ということでは、そこではやはり時間が考慮されているわけです。

「今はまだ、それは実際には起きていないけど、感情だけはお先に…」

というわけです。

違うんです。直結してください。
まだ起きていないことを先に喜ぶのではなく、あなたが「実現したら爆発させよう」と考えて保留している幸せを、今ここで炸裂させてください。

今までのやり方では、どうしても「時間」という信念が活性化されてしまう。
「今はまだ無理だけど、そのときの感情だけなら疑似体験できるよね」というわけです。

違うんです。疑似体験ではなく、あなたが実現までとっておこうとしたその「本当の喜び」を、今実際に、本当に経験するのです。

これは願望を実現するための「疑似体験」という方便ではなく、その「本当の喜び」を「今」経験しましょうという提言です。

実際にも、願望の実現にある程度の時間的経過が必要なのは、上に述べた旧式のやり方で喜びを経験したいという、あなたの習慣的反応、つまり信念を活用してしまうためです。

あなたはそうやって、ずいぶん先まで本当の喜びを大切に取っておくつもりでしょう。あなたの魂胆はまるっとお見通しですよ(笑)。

ですがどのみち、あなたが今抱いた願望が将来実現されたら、あなたはそのとき「待ってました!」とばかりに喜びを炸裂させるつもりなんでしょ?

そんなプロセスは不要です。待たなくて良いんです。

なら、今とっととそれを経験しちゃえばいいじゃん。

今、実現したことにしてしまう。

それで、今本当に喜びゃいい。

それが「直結」です。

うまくこのニュアンスが伝われば良いんですが…。

今回は「もう年の終わりまで待って結果を確認する、なんてことはしなくて良いですよ」というお話でした。

…えっ?
「お前、一年前と言ってること違うじゃねえか」って?
だってあれから一年もたってるんですよ。
それだけ「時間」があれば、私だって多少は成長しますよ(爆)!

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written by 108

12月 25

あなたは既に幸せのまっただ中にいます。
その事を頭で理解できなくても良いから、今は証拠として目の前に見えていないかもしれないその幸せを、ただ感じてみてください。

目に見えていないその幸せを少しでも感じられたら、今後その機会を少しずつ増やしていって。
意識の比重を目の前にあるものではなく、徐々にそちらへと移していくのです。

あなたがその機会をたくさん持ち、意識の比重がそちらに移る度合いに従って、あなたの目の前のものが変わっていきます。
あなたは目の前のものに直接取り組んでいるわけではないのに、なぜか目の前のものが変わっていきます。

あなたの体験が変わっていくのです。原因は「そこ」にあったことが徐々に腑に落ちていきます。
腑に落ちてきたら、「それ」を一番大事にしていってください。目の前の経験ではなく、「それ」を最も大切なものとして扱ってください。

それこそが神の祝福です。それはもう既に与えられているのです。
あなたがそこに目を向ければ、それは目の前の現実として現れてきます。

それは全ての人に平等に、既に惜しみなく与えられているのです。
既にあるにも関わらず、あなたが「ある」と信じていないことによって、その経験は遮られています。

だから、まず「ある」という前提でそれを感じてみてください。
実際にもそれはあるのです。あなたが苦労して今から作り上げるようなものではないのです。

繰り返しますが、それは既に与えられています。
感じてみてください。

メリークリスマス!

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written by 108

12月 05

2009年も師走に突入しました。
いかがお過ごしでしょうか。

ブログのデザインも、季節に合わせてちょっとイメチェンしてみました。気に入っていただけたでしょうか?

というわけで、今日は108から少し気の早いクリスマスプレゼントです。
と言っても「ザ・チケット2」の発売告知ではありません(笑)。
皆さんが居ながらにして、たった今、この場で祝福される奇跡のメソッドをご紹介します。

…やっぱりクリスマスに公開すべきだったかな〜(爆)。

まあ、私のことだからクリスマスに来られるかどうか分からないし(超爆)少し早めの方が良いでしょう。今公開しちゃいます。

それは一日限定で行うメソッド、題して「一日メソッド」です。

内容は「今日一日は、何があっても一切自分を責めない」というものです。

自分を責めることにどれほど正当な理由があるように思えても、それを採用しない。無視する。

誰かに「ごめんなさい」と言わなきゃならない場合でも、その時に自分を責めない。
「こんにちは」と挨拶する感覚で「ごめんなさい」「すみません」と言う。

しまった!部屋の電気を消し忘れたまま出勤してきてしまった!」という場合でも、その事について自分を叱らない。
私は部屋の電気をつけたまま出勤している」と単なる事実として確認するに留め、その事について自分の行為を責めない。

電車でシルバーシートに座ってウトウトしていた。電車を降りるとき、近くでお年寄りが立ちっぱなしでいたことに気付いて「あっ!」と思っても、罪悪感を使用しない。その事について一切自分を裁かない。

明日は早く起きなきゃ行けないのに、なかなか寝付けない」というときでも、その事について自己嫌悪にならない。その事で自分を一切責めない。
私は眠れない」と考えずに「私は今起きている」と考え、その事を発端に罪悪感を活用し始めようとする活動を中止する。

新聞に入っていたチラシを見ながら、

この欲しかったテレビ、まだ買えていないんだよな〜。うちはまだ古いアナログテレビだ。早くしなとアナログ放送が終わっちゃうのに…

と思っても、その事で自分を責めない。チラシを、自分を責める材料として使わない。

しまった!今自分で自分を責めてしまった!」と気付いても、その事について自分を責めない(笑)。

結構大変かもしれません。でも一日限定だから頑張って徹底してくださいよ。

さて、この一日メソッドを終えたとき、あなたはどんなことに気付くでしょうか。

あなたはこれまで、自分自身を一日中責め通しであったことが分かって愕然とするでしょう。

私はこれほどまでに休むことなく、自分自身を責めっぱなしであったのか!

と。
それに気付いても、自分を責めないでくださいよ(笑)。
今まで誰も指摘してくれなかったことなのだから、仕方のないことなのです。

もし、

今日は何があっても一日自分を責めないつもりだったが、結構責めてしまった

という人は、その事で自分を責めないで、期間をもう一日だけ延長しましょう。
要領は分かったはずです。次の日は自分を責めないことをもう少し徹底できるでしょう。

で、まだ徹底できてなかったなと感じたら、もう一日延長するのです。

やってみると分かりますが、このメソッドは一日の期間限定であるにも関わらず、出来れば継続して行いたいと感じるでしょう。
そう感じた方は「毎日メソッド」に名前を変更し、そのまま続けて頂いて結構です。
ですが最初から続けようとか思わないで、まずは一日限定で行うことをお進めします。
あとは、続けるかどうかはあなた次第。

この一日メソッドをやってみると、それを徹底できたかどうかに関わらず大きな気付きが得られます。

自分で自分を裁かない限り、自分は幸せである

という気付きです。
なんとあなたに不幸を経験させていたのは、他ならぬあなた自身であったということです。

そしてこのメソッドは、やればやるほどあなたに幸せを感じさせてくれることが分かります。
やればやるほど、あなたは今まで絶え間なく行っていた活動を逆に停止しなくてはなりません。それは「自分自身を責める」という活動です。

あなたがその活動を意識的に中断しただけで、不足はどこにも存在しないことが分かる。
今までその事に没頭し続けていたあまり、うっかり見落としていた重大に事実にも気付き始めます。

あなたはの周りは愛で満たされていたという事実にです。

あなたが自分を責めることに夢中で積極的に無視していたにも関わらず、それはいつも変わることなく、あなたを常に全力で包み込んでいたのです。
あなたが何をしようがしまいが、そんなことに関係になく、それはずっとそこにあったことに気付く。

これは殊更に大きな気付きです。しかもそれは、あなたにとてつもない利益をもたらすことになる。

まず自分を叱り飛ばすことに躍起であったため、敢えて無視してきた充足に向き直すキッカケとなる。
あなたが敢えて歪ませて認識していた現実を、歪みなく正しく認識できるようになってくる。これによって視点の転倒が解消され始める。

あなたが現実に一切手を加えていないにも関わらずです。

現実は依然現実として見えているかもしれない。にも関わらず、あなたは既に充足のまっただ中にいたことが、理屈でなく肌で感じられるようになってくる。

思考を全く活用していないにも関わらず、あなたはなぜかポジティブになっている。
窮屈だったはずのこの世界で、のびのびと自由に振る舞えるようになってくる。
無気力だったはずの人も、なぜか活力を得て自然に動き出す。
あなたは何もしていないのに、自然に動力を得て動き出す。

なぜなら、あなたが自分で邪魔していただけであって、それが本来のあなたの在り方だからです。デフォルトなのです。

こうなったら、もう罪悪感を活用して自分を責め続けたいという意欲は失われているはず。

そうしたら、その停止した活動を停止したままにしておけばよい。
あなたは素直に、自分を常に包み込んでやまない愛と充足とに屈服しようかという気になってくる。

そしてこの感覚、身に覚えがあるなと思い始める。それはあなたが物心つく前の幼子だったときの感覚です。
あなたが忘れて久しい、世界を曇りない純粋な眼差しで見つめていたときの感覚なのです。

こうして自分を責めることを放棄したあなたは、なんだかまだ不十分だなと思うはず。
このメソッドを色んな意味で拡張したいなと思い始める。

そうしたら拡張したら良い。
自分を責めないことが板についてきたあなたは、周りについてもそうしてみようかと思い始める。
それがどれだけ有用なことか、あなたにはもう始める前から分かっている。
それを始めたあなたには、一体どれだけの愛と充足とが流れ込むだろうか。

…いかがでしょうか。面白うそうでしょう?
では、まずはトライアルで一日、自分を責めないことに限って試してみてください。
その後さらに延長したり範囲を拡張するかどうかは、またそのとき考えましょう。

メソッドを試した方から、クリスマスまでにどんな嬉しい報告があるか楽しみです。
残念ながら私はクリスマスは忙しいので、ここに来る暇はないと思いますが。

えっ?どうしてかって?
だって私はその頃、トナカイの引くソリに乗って世界中の子供達にプレゼントをばらまいている最中ですから(超爆)。

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written by 108

10月 08

ご無沙汰しています。

今日が10月8日ということで、108に何か動きがあるんじゃないかと期待してくださっていた皆さん。

ゴメンなさい。何もありません…。

そんなことより大きな台風が来ましたが、皆さんご無事だったでしょうか?
今後もっと大きな出来事が矢継ぎ早にやってきそうですが、心配は要りません。

あなたは安全です。

ところで「チケット続編」についてですが、構想がまとまりつつあります。
詳細は決まり次第お伝えしますが、ちょっと楽しみになってきました。
前作に負けないくらいの内容になりそうです。

…とハードルを上げ過ぎるとちょっとキツイので(笑)、あんまり期待せずに生暖かく見守っていてください。

その前に貯まりに貯まったご質問を何とかしないと。

…善処します(爆)。

written by 108

6月 11

電子書籍「ザ・チケット」発売からちょうど一年経ちました。
もうあれから一年かぁ…
早いような、短いような(一緒だよ!)
不思議な感覚です。

この一年の間、本当に数多くの方にご愛読頂きました。
ありがとうございました。

「チケットのお陰で願いが叶いました!」
「毎日が楽に過ごせるようになりました!」

という嬉しいご報告を、コメント欄や板チケなどでたくさん頂いています。
執筆者として、こういった成果報告ほど嬉しいものはありません。
「ザ・チケット」を世に出して本当に良かったなと思います。
しかし一方で、

「まだ何も変化しません」

というご報告もあります。
そんな方達が必ずや幸せにたどり着けるよう、これからも語り続けていきますが、まずは一言メッセージを送っておきます。

「あなたは安全です。大丈夫」

たとえ今現在、あなたがご自分の現状に対してどんな想いを抱いていようが、このことだけは覆しようのない絶対的な事実です。

「あなたは絶対的に安全な領域にいます。心配しないで」

あなたが自分や周囲に対して感じている不満や不足という条件づけを一旦下ろし、まずはこの絶対的真理を無条件に認め始めてください。

「私は安全だ。大丈夫」

静かになり、このことをただ単純に受け容れてみてください。
思考を使わないで、ただ感じてみてください。

あなたが「私は安全で、大丈夫」ということに意識の焦点を合わせようとしている、ということは、取りも直さず「今、この瞬間」に意識の焦点を持ってこようとしている、ということです。
逆に「今、この瞬間」に意識を合わせようとしていると、どんどん「私は安全で、大丈夫だ」という絶対認識に焦点が合ってきます。
この二つは不可分で、どちらに焦点を合わせても、必ずもう一方の属性が現れてきます。自動的にそうなります。

もしこれが難しいということなら、あなたはまだ様々な条件付けを自分だと思い込んでいます。

「私にはあれが足りない」
「私はあれを欲しがっている」
「私はあれを手に入れなくてはいけない」
「それらを未だ実現していないのが私である」

というように。
残念ながらこの条件付けを持ち続ける限り、その欲しいものは中々手に入らないと思います。
なぜなのか。不足に強力に焦点を合わせ続けているからです。
したがって、依然として不足を再生産し続けることになる。

本当に欲しいものを手に入れるとき、意図は不足に向いていません。必ず充足に向けて作動しています。

どんな手段を用いようが、この原則は変わることがありません。非常に単純な理屈です。しかも我々が願望を実現するとき、このことは毎度体感していることのはずです。にも関わらず、いつもそれを忘れてしまいがち。

ところが、この半自動的な「不足への焦点」を簡単に解除する方法があります。
それは「今、この瞬間」に意識を持ってくることです。
思考を止め、条件付けを全て下ろしてやる。
すると、意識は勝手に「今、この瞬間」に合ってきます。
しかし習慣的思考の勢いがあるため、すぐに思考が息を吹き返してきます。

「でも、実際には何も解決していないよ」
「でも、問題がなくなったわけではない」

こんな風に。
こうやってあなたはすぐに条件付けを持ち出して「今、この瞬間」から目を背けようとします。その条件付けを含めたものが「自分自身」だと思い込んでしまっているので、それらはあなたと不可分のように感じてしまっているわけです。

しかし何度も言うことですが、これらはあくまで「条件付け」に過ぎないのです。別にそんな条件付けはなくたって一向に構わない。

その条件付けを取り払っても、あなたは増えたり減ったりしない。

だから、そんな思考が働きだして「今、この瞬間」の経験を遠ざけようとしていると感じたら、すかさず、

「OK。それはあとでやろう」

こうやって、思考の働きを単純に延期してください。
そんなことは「今、この瞬間」を充分に経験してから、あとで存分にやればいいじゃないですか。どっちみちそれらについて考え通しなのだから、ほんのちょっとだけその思考を中断したからって死ぬわけじゃあない。

だから、まずはその「あなたの中にある絶対的安全の領域」を充分に経験してみてください。それは誰の中にもあり、無条件に経験できるものです。その経験のための唯一の条件と言えるものは「あれこれ思考するのを止める」ことだけ。

今すぐやってみましょう。

…いかがでしたか?
今この瞬間に意識を合わせ、あなたが絶対的に安全であるという経験が出来たでしょうか?
よろしい。それでは思考を再開して、例の条件付けを全開にしてみましょう。

…おや?
何か変ですね。どうして条件付けが全開にならないのでしょう?
それはあなたが「絶対的に安全である」ということを知ってしまったからです。
それらの条件付けが「まやかし」であることが暴露されてしまったわけです。
このように「不足」とは、なんの実体もない単なる錯覚に過ぎないのです。妄想です。

さて、それが妄想であることを見破ったということで、改めてお聞きします。
あなたの欲しいものは何ですか?
あなたは何を経験したいのですか?

OK。ではそれを手に入れましょう。
もう不足という条件は必要ないですよね。意図を単純に充足に向けてください。
ワクワクしてきましたか?それでいいのです。
これが意図の働かせ方であり、チャンネルを変えるということであり、充足に目を向けるということです。

簡単です。そのために指一本動かす力も必要ないのです。
あなたは指を動かせますか?出来ますね。
じゃあ、当然これについても出来ます。

あとはやるだけ。

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written by 108

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