9月 04
裏DEBUGカバー

裏DEBUGはお読み頂けたでしょうか?

様々なご感想・ご意見があると思います。是非お寄せください。

さて、この「裏DEBUG」ですが、私のこれまでの著作の中で、ある意味もっとも実践的な内容になっています。
それもそのはず、「裏DEBUG」でご紹介した方法は、私自身が活用してもっとも効果を体感できた方法だからです。

裏DEBUGを一言でいうと「自らの至福に従え」ということです。

この考え方は新しいものでも何でもありません。古くからたくさんの先人が提唱して勧めてきた極めてスタンダードな方法です。にも関わらず、いつも脇に追いやられて蔑ろにされてきました。

実践対効果が極めて高いにも関わらずです。

裏DEBUGのやり方は、あなた自身と幸せとを行動で直結させる方法です。ですから実践した時点で即効果が得られるのは当たり前なのです。
にも関わらず、実践に対して我々はついつい二の足を踏んでしまいます。

「それは最優先させるようなことじゃないよ」

というように。

そうやって自分の幸せを絶えず後回しにしている限り、あなたと幸せとの間には、絶えず一定の距離や時間的感覚が設けられてしまいます。幸せになるために取るべきプロセスが延々と生成され続けるわけです。

この姿勢を自らの意志で解除しない限り、あなたはいつまで経っても不満や不足の蔓延る現実を体験し続けることになる。

それをもう止めましょう、ということをチケットでもDEBUGでも質疑応答でも板チケでもず〜っと言い続けてきました。
方法論やアプローチは違えど、私が提案してきたのはこの一点のみです。

ノーサイドにしましょう、もう(by 某国総理大臣)。

あなたが今現在幸せでないとしたら、あなたは自分自身の幸せに躊躇しているんです。
小さなことでも良いから、あなたが「イイ!」と感じたことを、臆することなく行動に移しましょう。
それによって、あなたが自分の幸せに躊躇する姿勢を少しずつでもぶち壊していくんです。
まずはそのフォームを取ることです。行動を通してです。

実に簡単です。ぜひお試しください。

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written by 108

7月 28

コメント欄のご質問も溜まってきている状況ですが…
DEBUG続編が完成しました!

「裏DEBUG」です!

裏DEBUGカバー

続編であって続編ではないような作品です。
むしろDEBUGとは相反するような内容という印象を受けるかと思います。

前作ほど重い内容ではありません。
今度は比較的スラスラと読めるはずです(笑)。
装幀と同じように、明るく前向きになれる内容です。

ご購入はこちらへどうぞ。

今回は願望実現ということを主軸に書きました。
ちょっと仮設男テイストかもしれません。
ある意味、原点回帰です。

「悟りとかどうでも良いんだよ!幸せになりたいんだ!」

という方にはうってつけの内容だと思います。

でも本当にうってつけなのは、悟りを求めている方かも…。

DEBUG共々、感想をお待ちしています。
まずはご挨拶まで!

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written by 108

3月 18

目の前では非常に厳しい状況が続いているように見えます。
途方もない困難が、あなたやあなたの親しい人に降りかかっているように見えます。

この恐怖に飲み込まれないで。
この不安に権限を明け渡さないで。

あなたを怖がらせるどんなことも「まやかし」です。
実際には存在していません。
これだけを根拠に、本当は何一つ起きていないあなたの中心、静寂で平穏な中心点に留まってください。

具体的には瞑想をしてください。
数をゆっくり数えながら規則正しく呼吸し、しばらくのあいだそれに集中します。

静寂が訪れたなら、あなたの思考は治まっている。
現実と感じているものとは無関係に、絶対的な静寂と安心感を感じられていることに気付くはず。
そうしたら、しばらくのあいだそこに留まってみてください。

瞑想が終わって現実に戻ってきたあなたには、恐ろしい状況が依然として目の前に展開していると見えるかもしれない。

でもそれに権限を明け渡さないでください。
先ほど実感した「静寂で絶対的な安心感」があなたの中に存在していることを思い出して。
目の前の状況とは無関係に、あなたの中心点を常にそこにおいてください。

恐れを感じても構わない。
思考に翻弄されても構わない。
でも、あなたの中心点だけは絶対にそこから動かさないでください。
1ミリたりとも。

不安を解消するために効果的なことは、行動することです。
なんでも良いから、行動を通して実行してみてください。
不安感という深いところから来るエネルギーを、効率よく解放することが出来ます。

「そんなことをする精神的余裕はない」という方は、せめてその状況から逃げないで。
その恐怖心をしっかりと受け止めてください。
あなたがその恐怖に対して敢然と向き合っているとき、あなたは恐怖より上にいるのです。
すなわち、あなたは恐怖や困難から解放される瀬戸際に立っているということになる。

恐怖心と闘わないで。恐怖心から逃げないで。
向き合ってください。
向き合うということは受け容れるということです。
受け容れることでそれは消え去るのです。
受け容れるということは愛だからです。
愛は全てを越えるのです。
なぜなら、それは神だからです。

あなたは愛です。
実際にはそれしかありません。

☆今回の地震被害に対して、チケットの売り上げから随時寄付を行っていきます。
また「神の~」シリーズでお馴染みのインテグレイテッド・インフォ様も、売上から寄付を行ってくれています。

http://kamisamano.info/wdp/archives/421

また108は、緊急に新しい書籍の発行を計画しています。
この書籍の売上から優先的に随時寄付を行う予定です。
チケット続編ではありませんが、シリーズ・ザ・チケットといった感じのものになると思います。
インテグレイテッド・インフォ様経由で販売出来るよう、現在調整中です。
(理由は販売から寄付までの時間を大幅に短縮できるからです)
販売が決定しましたらこちらのブログでもご報告いたします。

よろしくお願いします。

written by 108

3月 13

被害に遭われた方に対して心からお見舞い申し上げます。
皆様のご無事と安全とをお祈りしております。

当ブログ読者の方も、どうぞ愛を送ってください。
そしてご自身の痛んだ心をなによりも大切に慈しんでください。

あなたは愛です。愛しかありません。

written by 108

2月 02

…さて、

「願望実現に時間は関係ない」
「それは既にある」
「だから今すぐに直結すればいい」

いきなりこう言われても、じゃあどうやって直結したらいいのかとなると、イマイチよく分かりません。

この「どうやって」の部分こそが問題なわけで、皆それが難しいから色々と手を尽くしているわけです。
そしてますます出口のない迷路にはまり込んでしまう。

実はこれについては「ザ・チケット」の第7章で既に回答しています。

「捜す限り、見つからない」

「捜す」ということは「ここにはない」ということを表明しているのと同じことです。
もし「ここにある」ということであれば「捜す」というプロセスは存在しません。

上に書いた二行について、よ~く熟考してください。
(出来れば何度も何度も読み返してください)

では、もしそれが「ここにある」としたら、あなたはどうするでしょうか。

あなたはそれを手に取ります。
それで完了です。
これが直結です。

これだけのことです。
あなたが「ない」という前提で探し回るから、ますますそこから遠ざかるのです。


「虚偽の前提は虚偽の結果しかもたらさない」
というのはこういうことです。

「それはない」という虚偽の前提を採用するから「それはない」という虚偽の結果がもたらされる。
要するに前提も結果もひっくるめて、全てがでたらめだということです。

この「虚偽の前提」を採用している人にとって、直結は難しいはずです。
前提が間違っているのだから、直結はウルトラC(古!)級のスーパーテクニックに思えてしまうかもしれません。
採用している前提が違うため、その人にとっては「あり得ない不可能なことを実行する」ような印象で捉えられてしまうのです。

これは、前を向いたまま強引に首を180度ねじ曲げて後ろを見るようなことをしているわけです。

だから「これは難しいぞ」「そんなの無理だよ!」となってしまうわけです。

ところがこれは難しいことでもなんでもありません。
あなたが身体の向きを180度回転させてやれば良いだけのことなのです。
そうすれば首をねじ曲げなくてもそれは勝手に目の前に見えてきます。

これが最近よく言っている「立ち位置を変える」ということです。
そのために必要なことは?「立ち位置を変える」ことだけです。
いたってシンプルです。

これを「立ち位置を変えるためには?」と考え出すと、もういけません。
「立ち位置を変える」という本来「単なる実行プロセス」であることが、とてつもない困難なチャレンジとして設定されてしまいます。
またしても「虚偽の前提」の罠に落ちてしまうわけです。

立ち位置を変えるためには?
立ち位置を変えればいい。

それでオシマイです。
残念かもしれませんが(笑)、それだけのことなのです。

◆後付の世界

直結とはこれほどシンプルな話なんですが、従来の思考システムに慣れ親しんでいる我々にとって、これは逆に難しい。
あらゆることに対して「それはない」「できない」という前提でスタートするのが慣わしとなってしまっているからです。

あなたが何らかの願望を抱いたとき、まず「それはない」というように前提をセットしてしまっています。

無意識にです。

そして「それはない」「できない」と考えたとき、その理由や根拠は無数に出てきます。
「それはできない。なぜなら…」という形で思考がスタートしてしまうからです。
ですがその理由は、今あなたがそう考えたことによって「今」創造されているのです。

厳密に言うと創造さえされていません。

それはあくまで頭の中で作りだした想定であって、実在するものではないのです。
それらは、あなたが「できない」「それはない」と設定したため、それに付随して発生した単なる連鎖思考に過ぎないのです。
ところがあなたはそれを「絶対的な真実」として支え、もはやそこからの発想しかできなくなる。

そりゃそうですよね。前提が「できない」「ない」なんですから。全てはそれを支えるようにしかなりません。
あなたが最初の段階で間違った方を選ぶから、そんなややこしいことになってしまうのです。
最初に立った場所がハナから間違っていたわけです。

では、お馴染みの実験をしてみましょう。
今から台所に行って、水を一杯飲んできてください。

…できましたか?
実行していない人がほとんどでしょうが(笑)、実行した前提で話を進めます。

あなたはどうして水を飲むことができたのでしょう?

あなたがそれを「できないこと」だとは思わなかったからです。

そして台所に水が「ない」とは思わなかったからです。

実際に台所に行って蛇口をひねれば…あるいは冷蔵庫からペットボトルを取り出せば、水はそこにありましたよね?
それをコップに注ぎ、あるいは直接口に注いで水を飲むことができましたよね?

…水を口から喉、喉から食道、食道から胃へと次々に流し込むことに成功しましたよね?(笑)

それを決して不可能なことだとは思わなかったですよね?

だから成功したのです。

考え方次第では「とても実行不可能で成功が困難な目標」になり得たかもしれない、そのミッションをです。
実際に台所に行けば、蛇口も冷蔵庫もペットボトルもコップも全てあったでしょう?

あなたが「ある」と思ったからです。
別の言い方をすれば「あなたはそれがあることを知っていた」。
だからあったのです。
台所も蛇口も冷蔵庫もペットボトルもコップも。

ですが実際には、それらはあなたが「ある」と考えたから存在したものなのです。
必要な要素は全てあなたが創り出したものに過ぎないのです。
あなたが「水を飲む」という結果に直結したため、後の要素はそれに伴って生成されたものなのです。

「いやいや、あの冷蔵庫は10年も前から台所にあるよ」
「ペットボトルの水は、間違いなく昨日コンビニで買ってきたものだ」
「台所は私が生まれた時からずっとあったよ」

あなたはそう考えるでしょう。
でも本当にそうですか?
どんなもっともらしい証拠を提示したところで、その証拠やそれにまつわる記憶や歴史を、あなたが「今」生成しているのではないと言い切れますか?

なるほど、あなたは確かに水を飲みました。
では、目を閉じてそのプロセスを振り返ってみましょう。
部屋を出て台所まで歩いていき、戸棚からコップを取り出し、蛇口をひねり、あるいは冷蔵庫からペットボトルを取り出し、キャップを開け、コップに水を注ぎ、それを口に持っていき…。

おわかりでしょうか。

台所も蛇口も冷蔵庫もコップも水も、既にあなたの意識の中にしかありません。
もう一度台所に行って、再びそれらの存在を確認することはできるでしょう。
ところがその確認も、あなたの内部で行われていることに過ぎません。
あなたがあなたと関係なく、あなたの外部でそれらの経験をすることは不可能です。
つまり、全てはあなたの内部で起きている意識経験に過ぎないのです。

そして全てがあなたの内部で起きている意識経験に過ぎないのであれば…
どんな経験をするかは全てあなた次第ということになります。
そして実際にも、あなたはそのとおりにしているのです。

(つづく)

written by 108

8月 04

私達は現実世界において「原因と結果」という事柄を「時間」という直線的な軸にしたがって経験しています。

…そう信じています。

ですが、夢の中でのあれほど一貫性のないバラバラな経験が、目覚めの一瞬で即座に時間線に沿った物語として精妙に組み立てられているのなら、「現実世界は違うよ」とは言い切れないのではないでしょうか。

たとえば、あなたが台所に行って水を一杯飲んだとする。

あなたは時間の流れに沿って台所まで歩いていき、食器棚からコップを取り出し、水道の蛇口をひねって水をコップに汲み、それを喉に流し込んで水を飲んだ。

そう考えています。

でも、本当にそうでしょうか?

本当は「水を飲もう」というアイデアを思いついた瞬間、既に水を飲んでいたのではないのですか?

あなたが台所まで歩いていったり、コップを取り出したり、蛇口をひねったり、コップに水を注いだりしたというのは…

あなたが「水を飲んだ」という事実をもっともらしく裏付けるために、後からつけ加えたものなのではないですか?

それを仮想の時間線に沿ってつなぎ合わせ、さも納得がいくようにつじつまを合わせ、瞬時に組み立て直して解釈しているだけなのではないですか?

つまり実際には時間は存在せず「結果」しかなく、原因やプロセスについては、つじつまを合わせるために「後付け」しているだけなのではないですか?

それを認識上で時間線に沿って並べ替え、時間の信念どおりに解釈し直しているだけなのでは?

つまり実際には、

「原因」→「プロセス」→「結果」

ではなく、

「結果」→「プロセス(錯覚)・原因(錯覚)」

ではないのか、ということです。

もしこのアイデアが本当だとしたら、ACIMやホ・オポノポノの「全ては既に終了(完了)している」という主張にも合点がいきます。
我々は既に終了していることを仮想の時間線に沿って、一定の速度で(錯覚を交えながら)再生しているだけということになります。

もしこのアイデアが本当だとしたら、予知や第六感による直観も何ら不思議ではなくなります。
それらは既に終了しているのであって、それを時間線に沿って逆転再生しているとしても…そして未だそれを経験していないという「フリ」をしていたとしても、「それは既に終わっていて結末を知っている」という事実は覆らないからです。

もしこのアイデアが本当だとしたら、アカシックレコードが存在しているとしてもおかしくありません。
むしろ存在していないとおかしい。
ただしそのアカシックレコードは、無限のバージョンをすべて網羅する形で記述されていることになる。

もしこのアイデアが本当だとしたら、「現実は幻想である」という主張も説得力を持ってきます。
実際には結果しかなく、原因やプロセスは単に「つじつまが合うように」我々自身が捏造しているだけということになるからです。

そして、もしこのアイデアが本当だとしたら…

あなたは願望を実現するために、何もする必要はないということになる。
結果しかないのだから、あなたは単にその結果を選択するだけです。

それで完了です。

そのために必要と思われる、どんな物理的変化も時間経過も、信念の変更もクレンジングも現実的努力も、一切不要ということになります。

それらはつじつま合わせの単なる「後付け」に過ぎないのです。
あなたが結果を選択しさえすれば、それらのプロセスは(あなたにとって必要なら)あなたが納得する形で後から生成されるでしょう。
そして、それらをちゃんと時間という信念に合致する形で経験する(と錯覚する)ことになる。

わかりますか。

もしこれが本当かと思えば、あなたにとって制限はなくなる。

実現を妨げるどんな要因も消え失せる。

結果しかないのだから、あなたはそれを選ぶだけで良くなる。

文字通り自由自在です。

そうしたら、この世界には充足しかないということが分かる。

そして、あなたを苦しめてきた「不足」という仮想概念は消滅するのです。

これが直結です。

直結とは「あいだを隔てないで直接に結びつくこと(広辞苑)」です。
つまり「直に」「結果である」ということです。

直結メソッドとは、

「直に結果であれ」

という実現状態そのものなのです。

これまでは様々な仮想概念や信念を用いて、あなたの意識は結果から分け隔てられていました。
時間、因果、物理的変化、距離、誰かの意向、過去の記憶、自らが自分に課してきた属性…

どれもこれも、あなたが今すぐに望むあなたで「在る」ことを、妨害してきたまやかしに過ぎなかったということです。
あなたはそれらのアイデアを利用して、直結することに抵抗してきた。
そんな必要は何ひとつなかったわけです。

だから、

「今すぐに叶えてください」

「たった今、そうなってください」

「そのあなたは、問題について心配したりしていないでしょ?」

「その過去は、あなたが今、創り出しているんです」

「潔く無視しちゃってください」

「知覚障害を起こしているんです」

「充足を見てください」

「既にそれはあります」

「実際の物理現象としてあるのです」

…というわけです。

(つづく)

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written by 108

7月 21

あなたは夢をご覧になりますか?
睡眠中に見る、あの「夢」のことです。
きっと見ますよね。私もよく見ます。

夢というのは不思議なもので、突然脈絡のないシーンにいきなり飛んだり、自分の役割やキャラクター、舞台設定まで突然変わったりして、なんとも不条理なものです。

ストーリーもあってないようなものですが、そういった面を除けば、起きているときの現実体験と遜色ないリアルさがあります。夢から覚めるまで、それが夢であるとは気付かないほどの…。

実は私、かつて夢に関連して驚くようなことを経験しました。

それまでの常識が音を立て崩れる…というより、木っ端微塵に吹っ飛ぶような衝撃的な経験でした。

それをこれからお話しします。

私はいつものように夢を見ていました。
(夢の内容についてはこの際どうでもいことですが、セクシーな夢でなかったことは確かです(笑))

いつもの夢と同じように、まるで現実の体験であるかのようにそれを経験していました。
つまり、そこで起こる出来事や場面同士のつながりが「現実ではあり得ない形」であるにせよ、現実と同じようにその夢の世界を体験していたということです。

ここまでは普通でした。
問題はこの後です。

夢を見ていた私は、いつものように目を覚ましたんですが、この時、思いもよらないことに気付きました。

なんと目が覚める寸前に見ていた夢のシーンは、夢のストーリーにおける「ラストシーン」ではなく、なんと「オープニングシーン」だったのです。

これだけでも意味不明なのですが、本当に驚いたのはこの後です。

それに気付いてから目が覚めるまでのほんのわずかな刹那、見ていた夢のそれぞれのシーンを、通常の時系列に沿って瞬時につなぎ合わせている自分を初めて観察したのです。

夢における時系列、つまりストーリーを作っていたのは、目覚める刹那の自分自身でした。

夢の中に時間はなかった。
それを目覚めた後でも時系列に沿ったストーリーとして解釈できるようにしていたのは、目覚める瞬間の自分による「瞬時の並べ替え作業」だったのです。

これによって、夢が何故あれほど不条理なのか理解できました。

本来、夢の中に時間はないのです。だからなんの制限もなく自由自在な経験ができる。
突然別の人物になったり、突然まったく違う場面の経験に移ったり。

ある意味直結です。

この経験を「起きている意識」によって解釈して認識するためには、その形に変換する必要があります。
それが目覚め直前の瞬間的な「時系列に整列」作業なわけです。

これによって夢は見かけ上、時系列に沿ったストーリーを持つことができ、場面のつながり等が(現実視点では)不条理であったとしても、後で反芻したり、人に話して聞かせることの出来る物語として、かろうじて形をなすわけです。

ところが実際の夢にはストーリーなんてない。

そこには直線上に一方向に進む「時間線」なんてものは存在していないのです。

だからこそ、通常の時間認識上では「一番最後」に「一番最初のシーン」を見ていたりする。

私はこのとき、ハタと気付きました。

「…ひょっとしたら、現実世界も同様じゃないのか?」

と。

(つづく)

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written by 108

7月 13

昔、知り合いの人にこんなことがありました。

その人は高速道路を車で走っていたのですが、なんと走っている最中に、いつの間にかタイヤが一本外れてしまっていたそうです。

でもそのことに気付かなかったため、その人はずっとタイヤ三本で走り続けていた。
外れていたことを知ったのはずっと後のことです。

そんな不安定で危険な状態で、どうしてなんの不都合もなく車を走らせ続けることが出来たのでしょう?

「そりゃ、偶然にもカーブのない長い直線道路で、ハンドルを大きく切る必要がなかったからだよ。高速で走っていたので慣性の法則が働いて、車はバランスを崩すことなく走り続けることが出来たのだ。そういうことって、たまにあるらしいよ」

そうかもしれませんね。
物理的な説明を求めるとそういう結論になるでしょう。
でも私が言っているのはそういうことじゃありません。

「本当にずっと前からタイヤは外れていたの?」

ということです。

彼は運転中「タイヤが三本しかない」ということを事実として認識していなかった。
つまりそのとき、彼の意識には「タイヤが三本しかない」という事実はなかった。

じゃあ、そんな事実は存在していなかったんじゃないの?

少なくとも彼が「タイヤが一本外れている!」ということを事実として認識するまでは。

このことを彼の側からだけ捉えると、別にそれでも問題ないことが分かります。
だって事実しばらくの間は、タイヤが万全な時と同じ状態で走行を続けていたわけだから。

「でも、彼がそれを事実として認識するまでに、既に別の人がそれに気付いていたかもしれないじゃないか。対向車がパッシングをしたり、クラクションを鳴らして知らせようとしたり…。タイヤが外れていると気付くまでの間、『そういや、確かにそういうことがあったな』と彼に思い当たる節があるなら、やっぱり彼が気付いていないだけで、それは現象として起きていたんだよ」

分かります分かります。
ですが、ちょっと待ってください。
その「対向車がパッシングした」「クラクションを鳴らされた」というのは、本当にタイヤが外れていることを知らせようとしてのことですか?
そんなこと、タイヤが外れたことがない私にだって、幾らでも経験がありますよ。
パッシングやクラクションが「その時点で既にタイヤが外れていた」ということの証明にはなりません。

「だから!その車は結果的にタイヤが外れていたんでしょ!それならパッシングやクラクションは『それを知らせようとしていた』ということになるじゃない!!」

…ハイ、引っかかりましたね。

「…君、今の聞いたね?」
「はい、聞きました」
「…君も聞いたね?」
「はい、聞きました」

「…オイオイ、なんのマネだ!一体こりゃどういうことだ!」

(by 刑事コロンボ)

あなたは自分自身で認めてしまったんですよ。

「『結果的に』タイヤが外れていたから、パッシングやクラクションは『それを知らせようとしたことになる』」

あなたはこう言いましたね。
これは、

「彼がタイヤが外れていると認識した」

つまり、

「彼の意識体験に『タイヤが外れている』ということが入ってきてから初めて、『パッシングやクラクションはそれを示唆する事実として存在』したことになる」

と認めているということです。

彼が脱輪を認識した時点で、対向車のパッシング等はそれを支える事実となった。
これは確かに真実です。

この二つの事象間においては、敢えて時系列的な観点から見ても「脱輪したことに気付いた」方が後です。それ以前の時点では、彼の意識体験に「脱輪」という事実は存在していない。確かに対向車にパッシングされたかもしれませんが、パッシングという事象単体のどこを探しても「脱輪」という要素は見あたらないのです。

彼が脱輪に気付いてから、

「あっ、さっきのパッシングはつまり…」

こう認識した時点で初めて、彼の中で脱輪とパッシングとが結びついたわけです。

「あなたが属性を認定するまで、全ての事象はニュートラルである」

これまでに何度も言ってきたことです。

では分かりやすくするために、映画のフィルムに置き換えて考えてみてください。
主人公が高速道路で車を走らせていると、対向車がやたらクラクションを鳴らしたりパッシングをしてきたりする。
おかしいなと思って車をパーキングに止めようとしたところ、急に車の挙動がおかしくなる。車は傾きながらなんとか停車し、車を降りた主人公はタイヤが一本外れていたことに気付く。

この映画をそれぞれのシーンごとに抜き出して単体で観察してみても、それぞれは何の因果関係も示していません。
それを時間軸に沿って、

1.クラクション
2.パッシング
3.不審に思う
4.速度を緩める
5.車の挙動がおかしくなる
6.停車して脱輪を確認する

このように順番に連続性をもって見ていったとき、初めて、

「ああそうか。対向車は主人公に脱輪を知らせようとしていたのだ」

という解釈が成り立つわけです。

1や2の時点ではクラクションもパッシングも「脱輪を示唆している」という属性は持っていません。その属性が与えられるのは6の時点です。その時点までは、別の言い方をすると「属性は確定していない」

このように彼の意識体験においては、どう頑張ってみたところで「パッシングやクラクション」が「彼が気付く以前に脱輪が発生していた」ことを証明する根拠にはなり得ません。

…まだ納得できませんか?
よろしい。往生際の悪いあなたのために、もっと分かりやすく徹底的な説明を試みましょう(笑)。

(つづく)

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written by 108

7月 12

前回のコラムでご紹介した「直結メソッド」はお試しいただけたでしょうか?

「正直『先取りメソッド』との違いが分からないよ!」

こんな風に、いまいちピンと来ていない方もいらっしゃると思います。
というわけで、今回は解決編です。

「先取り」という概念には「時間」の感覚がつきものです。
これによってどうしても「今現在、実際には望む状態ではない(実現していない)」という信念を支えてしまいがち。
だから、この「時間」という概念そのものを無視してしまおう、というのが前回記事の要旨でした。

あなたにとって何か望む状態があるのなら、そのあなたに「今」なってしまう。

これが直結です。

なった「フリ」じゃありませんよ。本当になってしまってください。

※このニュアンスはとても微妙なものなので、今回は念入りに説明したいと思います。

****************************

「たった今、望む自分になった」

こう選択したとき、即座に思考が働き出します。

「オイオイ、そんなわけないだろ。周りを見てみろ。何も変わっちゃいないじゃないかよ」

あなたは本当に望む自分になったかどうか、目の前の状況と照らし合わせて確認しようとします。現象化によって自分の選択に確証を持ちたいためにです。

ところが、どうやらそれを後押ししてくれる現象化はなさそう。
あなたはこれで意気消沈し、直結は一瞬で解除されます。

…でも、これっておかしくないですか?
本当に望む自分になっているなら、何故現象化という確証によってそれを証拠立てる必要があるのでしょう。

願望を既に実現している「あなた」なら、目に見える現実の中からその証拠を血眼になって探し回ったりはしない。

こんな時、直結はできていません。
これでは単なる、

「直結したフリをして、恐る恐る様子を伺っている状態」

に過ぎません。

どうしてそうなってしまうのか。
直結を意識的に一瞬で解除してしまっているからです。

あなたは確かにほんの一瞬、実現した自分と直結できていたのかもしれません。
しかし証拠を探し始めた時点で、もう直結以前の自分に戻ってしまっているのです。

たとえば、あなたの金庫に現金十億円が置いてあるとします。
実際に現金十億円をずっと持っている人が、

「私は本当に十億円持っているのかしら」

と、何度も何度もわざわざ金庫を開けて確認しに行くでしょうか?
お金が大好きな人なら、毎日でも金庫を開け、現金を目の前に悦に入るかもしれませんが(笑)、別に十億円の存在を疑ってそうしているわけではありませんよね。

あなたは車を持っていますか?
もし持っているとして、

「私は本当に車を持っているんだろうか。車が突然消え去って、本当は持っていなかったということになってないだろうか」

と心配して、何度も何度もガレージに車を確認しに行くでしょうか?
初めて車を買ったばかりの頃なら、嬉しさのあまりそうするかもしれませんけど(笑)、これも車の存在に疑問を持ってそうしているわけではありません。

では、あなたは呼吸が出来ますか?

「当たり前だよ!」

そうでしょうね。
そうでないとしたら、こんなブログを余裕こいてのんびりと読んでいる場合ではありません(笑)。
じゃあ当然、

「私はひょっとして呼吸が出来ないんじゃないだろうか?」
「私が息を吸うことで本当に空気が入ってくるのだろうか?」

なんてことは思いもしませんよね?
貴方が呼吸できることはれっきとした事実であって、一々現象に目を向けて確認する必要なんてないからです。

では、あなたの身体には頭がついていますか?

「…待てよ、そんなこと考えもしなかったな。本当にそんなものがくっついているのか甚だ疑問だ。ここはひとつ鏡の前に行って、本当に頭がくっついているか確認してこよう」

…とはならない。ならないの巻(by パンクブーブー)

何故って、確認するまでもなく、それは疑いようのない事実だからです。
言い換えれば、あなたはそれを100%確信している。
疑念の入り込む余地はない。だって事実なんだから。

あなたが既に持っているもの、あるいはあなたが「今の自分はこれこれこういった属性である(こういった状況を抱えている)」ということに関して、あなたはそれを現象面で一々再確認するようなことはない。

だって事実だから。
事実だと「知って」いるから。

…でも、本当に事実ですか?

(つづく)

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written by 108

1月 27

ヒジョ〜に遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年もこんな調子ですが(笑)どうぞよろしくお願いします。

ところで、年始って何ですかね?
年の始め、年頭のことですよね。

昨年の年頭ブログに「今年一年を振り返る」という記事を書きました。
面白い結果が出た方もいるでしょうし、そうでない方もいるでしょう。

良い結果が出た方は、おめでとうございます。
そうでなかった方は、ごめんなさい。

ところで、今回はある提案があります。
「年始に一年を振り返る」もそうですが、願望実現のための方法論として、こういった時間を逆利用したメソッドというのはよくあります。

チケットでご紹介した中にもありますし、探せば他にもいろいろ出てきます。
もちろんこれで効果が出ている人は結構ですし、そのまま続けていただいて構わないのですが…。

そうではないという方。

こういった「時間を逆利用するやり方」を止めてみませんか、という提案です。
止めて、じゃあどうするのか。

たとえば、あなたが大金を得たいとする。

通常なら、大金を得たイメージを想像したりして、思考を働かせます。
あなたはウフフと喜びます。
それで、いつ現実に大金が現れてくるかと楽しみにして待つことになります。

「実際に大金を得ることができたら、そのときこそは本当に喜ぶぞ」

というわけです。

このやり方では時間を逆ではなく「順」利用しているわけですが、逆利用したとしても、実際の実現の瞬間まで待つことになるのなら、結局同じことです。

「やっぱり待っちゃってるじゃん」ということです。

この「待つ」というのが曲者です。

「どうせ実現するまでには、ある程度の時間的経過が必要なんだろう」

というわけです。刷り込まれちゃってます。観念であり信念なわけです。

この常識的判断に基づく信念というものが、願望実現のためには非常に厄介な邪魔者であることは、チケット読者や板チケ住人の方、このブログの読者の方ならとっくにご存じだろうと思います。

じゃあ、なぜその信念をわざわざ活性化しちゃってるんですか、ということです。

今回ご紹介するのは、この信念を無視して時間をまったく利用しないやり方、題して「直結メソッド」です。

あなたが大金を得たいとする。
そしたら、いつか実際に実現した時まで喜びを延期するのではなく、今実際に喜びましょう。

「やった!大金が手に入った!バンザイ!!」

ということです。

あなたがモデルなみの美人になって、イケメンからモテモテになりたいとする。

「やった!モデルのような美人になって、イケメンゲットした!ヤッター!!」

あなたが慢性的な持病を抱えているとする。

「やった!完全に健康な身体になったぞ!ヤッホー!!」

あなたが…(以下、あなたの願望に当てはめてみてください)

…あれ、この「直結メソッド」って、これまでにあらゆる書籍で伝えられてきた「先取りメソッド」と同じじゃん。どこが違うの?と思ったあなた。

これは「先取り」とは違います。
「先取り」とは「ある事態より先にことを行う、または自分のものとする」ことです。
「ある事態より先に」ということでは、そこではやはり時間が考慮されているわけです。

「今はまだ、それは実際には起きていないけど、感情だけはお先に…」

というわけです。

違うんです。直結してください。
まだ起きていないことを先に喜ぶのではなく、あなたが「実現したら爆発させよう」と考えて保留している幸せを、今ここで炸裂させてください。

今までのやり方では、どうしても「時間」という信念が活性化されてしまう。
「今はまだ無理だけど、そのときの感情だけなら疑似体験できるよね」というわけです。

違うんです。疑似体験ではなく、あなたが実現までとっておこうとしたその「本当の喜び」を、今実際に、本当に経験するのです。

これは願望を実現するための「疑似体験」という方便ではなく、その「本当の喜び」を「今」経験しましょうという提言です。

実際にも、願望の実現にある程度の時間的経過が必要なのは、上に述べた旧式のやり方で喜びを経験したいという、あなたの習慣的反応、つまり信念を活用してしまうためです。

あなたはそうやって、ずいぶん先まで本当の喜びを大切に取っておくつもりでしょう。あなたの魂胆はまるっとお見通しですよ(笑)。

ですがどのみち、あなたが今抱いた願望が将来実現されたら、あなたはそのとき「待ってました!」とばかりに喜びを炸裂させるつもりなんでしょ?

そんなプロセスは不要です。待たなくて良いんです。

なら、今とっととそれを経験しちゃえばいいじゃん。

今、実現したことにしてしまう。

それで、今本当に喜びゃいい。

それが「直結」です。

うまくこのニュアンスが伝われば良いんですが…。

今回は「もう年の終わりまで待って結果を確認する、なんてことはしなくて良いですよ」というお話でした。

…えっ?
「お前、一年前と言ってること違うじゃねえか」って?
だってあれから一年もたってるんですよ。
それだけ「時間」があれば、私だって多少は成長しますよ(爆)!

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written by 108

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